2017年は3月から就活が本格開始らしい。気がつけば就活という言葉があちこちから聞こえてくるので、思い出される話を一つ。
就職活動
僕が就活生だったのは5年前。思うように就職先が決まらなくって、でもそれは思い返せばやりたいこととか意思とかが(当時は)そんなになかったからだったのだろう、2月ぐらいからエントリーシートや先行した面接やリクルーターの面談が立て続けになだれ込んできて、毎月90時間近くシフトを入れていたバイトも、36だったか、27だったか、とにかく下限のギリギリにしてもらったのを覚えている。
書類やグループディスカッションは得意な方で、ほぼすべての選考は通過していたと思う。面接も、人事や現場社員系はかなりいい結果が出るのだが、だいたい役員や社長の面接で「お祈り」されることが多かった。何かわかりやすい原因があったからなんだろうな。今となってはそれを思い出すことも考え直すことも面倒だし、かなり(心の)パワーを使うのでやらないけれど。
4月にはいると一般的に経団連が定めた解禁となって面接なんかが増えていって、(あー、思い出話とかいいながら思い出すととっても疲れる。)政治経済学部だった僕の周りの友人は、みんな銀行や保険会社や商社なんかに次々と決まっていって、超大手の広告会社とか、小さな出版社とか、数人しか採らないような鉄道会社とかしか志望を出していなかった僕は、まさに「持ち駒が減る」という言葉にピッタリの焦るべき感覚に襲われていた。
それでもいくつかあった「持ち駒」の中で選考が進んでいたものについて何が何でもつかみとりたいという気持ちはあったが、4月も後半になるとすごくすごく疲れていて、その力強い気持ちを打ち消すぐらいの「プラスでもマイナスでもないゼロ」の感情も強くなっていた。
今でも覚えているのは、某出版社の最終面接で、社長に「児童書も電子書籍化をしていくべきです!」とプレゼンしたら「バカモノ子供が触れるのは紙の本でなくてはならない!」と頭ごなしに説教されて、その瞬間に何かがプツンと切れた(ほんとうに”切れ”るんだ!と感心した)音がして「そんなスタンスでは児童書の分野では淘汰されると思います。論拠も示さず感じたことを言うだけのトップがいる会社には居たくないです」と言ってしまった。それが就活の緊張の糸も切れた瞬間だった。
ゴールデンウィーク
この年のゴールデンウィークほど遊んだのは思い返しても他にない。
さすがに企業の面接も予定がなく、かといって就活だからと空けていたため他になんの予定もなく、朝起きたときの思いつきで大阪に行き、行ったはいいが宿がみつからずに最終の夜行バスで都内に帰るはめになったり、その帰り道の道中に次の日の流しそうめんを計画して人を集め、流しそうめんからそのまま家に帰らず名古屋に鈍行で行く旅に出たりしていた。
そんな豪遊のゴールデンウィークが明けてからは、就活なんかどうでもいいやーというような気持ちが体に満ちてきて、減らしたバイトもまた増やすような生活になった。
不思議なことにこのころの記憶というのがほとんどなくって、でもそれはショックだったわけでも、何か困っていたり、悩んでいたわけでもないようだった。おそらく、本当になんにもなかったのだろう。プラスでもマイナスでもない、ゼロの感情が大きくなってそれだけになっていたのだと思う。
演奏会に出る
6月の頭に、アルカイクの合同演奏会というのが予定されていた。アルカイクというのは、アンサンブル・ヴォカル・アルカイク=東京という、野本立人先生を中心にした合唱人の集合体で、いくつかの合唱団や周辺のメンバーからなりたっている。
当時、今はなき「華楽」という合唱団があり、僕はその活動にそれなりに精力的に参加していたので、華楽のメンバーとして演奏会に参加することになっていた。余談だが、この華楽はそれまではアルカイクにはあまり深く参加(という言い方が、当人からすると妥当なのである)しているわけではなかったが、ある意味正式に仲間においでよ、といってもらったタイミングでもあったのだ。
その「華楽」は今は解散してなくなってしまったのだが、どちらにしても当時ゼロの感情が満たされていた僕にとっては魅力も感じられなかったし、なんなら少し面倒なことだと捉えていた(ように思い出す)。練習もあまり行けてないし、行く義務が僕にあるのだろうか?とさえ感じていたと思う。
どうにかしてサボれないか(就活という大義名分があるから、この方向性を実現させることは何でもない簡単なことだと考えていた)というようなことを考えながらではあったが、それでもなんとなく切り捨てる気になれず、範囲を縮小(歌う曲もあれば、歌わない曲もある、というようなこと)して参加することにしたのだ。
結果から言うと、その予定は自分自身で裏切り、全てのステージで歌うことになり、アンコールまで歌いきって打ち上げにもしっかり参加した。当日のリハーサルでステージにのっている間に「こっちの曲も歌おうよ」「別に練習出られていなくても、できる範囲でやったらいいじゃない」と言ってくれた人がいて(もちろん、全てそれでいいということではないと思うけれど、幸いにして僕は初めて見た楽譜を歌うのは不得意ではなかった)、どうせ一日暇になるわけだしそれなら参加するか、と飛び乗ったのだった。
非日常の魔法
その頃、言い訳やきっかけにこそ使っていた「就活」という言葉は、自分の中ではほとんど死んだも同然のものになっていた。選考を進めている企業も多くなかったし、なんならどうせ合わないだろうと途中で自ら辞退してしまったところもいくつかある。それは、就活という非日常が日常になっていく不気味さを、ゼロにして回避しようとしていたような気がする。
もう一つ、就活が落ち着いていない自分への戒めという位置付けでもあった。そんなことをして、誰かが得をしたりするわけでもないのに、自分が楽しいことや明るいこと、派手なこと美しいことから遠ざかっている状態を、自分自身への謝罪にしてしまっていたのだ。自分が許せないことは、自分自身が嫌な思いをすることでバランスを取ろうとしていたのかもしれない。
でも、バランスを取るべきは日常と非日常だったのだ。
ステージには、非日常があった。
アルカイクの演奏会は、その日初めて会う人もいるような(それは僕が練習に真面目に参加できていなかったからだけど)大規模なメンバーで、暗闇の中スポットライトが当たる側に立ってパフォーマンスをする。当たり前だけど、一人じゃできないし、毎日できることじゃない。
その圧倒的な非日常が、僕の中で何かのスイッチを入れてくれた。演奏会がすごく楽しかったのと、楽しいと思うのが久しぶり(といっても、2週間か3週間のそこらだけど、就活中の時空は歪んでいるので、とっても長いのだ)のような気がした。もっと練習も出たかった〜と調子の良いことを言って、その日初めて仲良くなった「大人」にかわいがってもらったりもした。
就活終わり
そこで入ったスイッチで、いくつかの発見があった。自分がやりたいことが、なんでそんなこともわからなかったのか、というような手元に落ちていたことに気がついたのだ。
ずーっとバイトでやっていたWEBの制作が、仕事になったら面白いんじゃないか! そう気がついてからは就活はとっても楽しかった。世の中に会社は無限にあるように感じて、そのどこでもうまくやっていけそうな気がした。
それは躁状態というわけではないと思うけれど、平気だと思える高い壁ができて、そこから超えることはまったくないという感覚だった。何か自信だとか覚悟みたいなものに繋がったのかもしれない、そうしていくつか手を出した中で面白そうな会社から内定をもらうことになる。
とはいえ楽ちんだったわけではなくて、これも自分がアホなだけだが、面接の当日までプレゼンの課題があるということを忘れていて、当日の朝に数時間でチャチャッと作ったプレゼンで60分話させられたり、希望していた職種を変更させられたり、いろんな波乱はあったけれど、それでも後から思い返せば、はじめからピンときていたような気もする。
日常の魔法
そうやって苦労をした就活の末に入社した会社も、4年間勤めたらあっさり辞めてしまった。嫌で離れるわけではないし理由はいろいろあるけれど、でもそんなもんなのだ。
就職すること、働いてメシを食うこと。それを美化したり脅かしたりして、非日常的な存在に仕立て上げられていないか。もっともっと日常の中にあるものではないか。
今、転職した、というと「おめでとう」「大変だったね」と声をかけられることが多くて、もちろんいろいろな大変もあったし嬉しい言葉だけど、毎度少しだけ「?」が自分の中に浮かぶ。だって働くことって日常だし、その日常をつづけるためには当たり前の選択肢だったとすら感じているんだもの。ちょっと乱暴かもしれないけれど。
日常も非日常も、たぶんどっちも必要で、どっちもがお互いをきらめかせるのだろう。
日常の中にも非日常はあるし、非日常の中の日常はもっともっと美しかったりもする。
これからの就活生も、どうか就活という非日常に疲れてしまわないで、将来の日常をどう手に入れるかたくさん悩んでほしいな。もし就活に疲れたら、もっと圧倒的な非日常を目の前にすると、ヒントがあるかもしれない。